このままなだれこんでしまうのか? まだ死にたくない死なせたくもない

ひたひたと忍び寄る影、破壊と破滅のシンボル、戦争だ。少しづつ現実味を帯びてきたのではないだろうか。十年前なら、「空想だ、おまえ頭おかしくなったのか。」って言われただろう。いや、十年も遡らなくてもよい。明らかに近づいてきている。
なぜ今なのか。安倍政権のせい?
小泉政権は雇用を破壊したが、戦争の影はまだ見えなかった。9.11もこの頃起こった。その後民主党へ政権は移り3.11の震災があり、ふたたび現在の自民党政権へ戻った。つまり、連合左派がこけて右派へ政権は戻った。左派のいないところでの右派となり民主党政権時代以前より当然強硬となっている。暴走を止める手立てがない、対抗する政党はもうないのだから。最後の左派は国民、一般人なのかもしれない。デモくらいしかもうない。私も原発デモに行ったが。
考えてみれば、ほぼ無力と言ってもよい私達フツーの人は右と左を使い分けている。上に向かっては右、そうでなければ左という風に。しかしそのようなスタンスをこれから先も続けてよいのかと問われているのだ。

ところで、なぜ戦争なのか?
いくら強硬派でもそれがすぐに戦争に向かうとも限らないではないか。被災者支援や脱原発に向かったってよいのだから。国際情勢が大きく関わっていることは確かである。いやそれだけなのかもしれない。直接的にはアメリカの要請、圧力と考えるのが定石だろう。
世界規模ではいま何が起こっているのか。あまり考えたくはないが戦争の火ぶたが切られる可能性はあると思う。巻き込まれぬようにうまく舵を取ってほしい。どういう戦争になろうと必ずアメリカが関わることになるだろうから、アメリカに日本が関わるのは得策ではないと思う。
振り返れば、「戦争になるかも、徴兵されるかも、嫌だ」って言ったのは高校生だった。それが私に空想ではなく近い将来の現実だと思わせた決定的な要因だった。
磯の風景

梅雨

今日は曇り時々雨、だった。梅雨時の湿度の高い天候だ。植物にとっては最高の時期なのか、成長するエネルギーを見て取る。
何でもない特に語るべき一日ではなかったが、日に日に移ろう、二度とはない一日、戻ることのない時間が名残惜しい。同時に私も徐々に歳を重ねていくのだと、決して制御できない時間の流れを思う。流れに逆らおうとガチャガチャともがいたり抵抗したりすることが馬鹿馬鹿しくもあり微笑ましくもある。自分なんて本当はないんじゃないかって、こだわりだけが強くてうまく流れないで引っかかっているのだと・・・。生きている人にも死んでしまった人にも右も左もなくもっと大きな流れ、もしくは細胞レベルの振動の中で互いに何かを感じ取っている。見誤っているのではないかと疑う。
生きていることが矮小化、硬直化し、看過されていく。
蛍

『家族というひとつの民族』からの贈り物への感謝の念

なぜだか家族のことが頭に浮かぶ。
就職をし、結婚をし、家庭を持つということは保守化していくことであり、あまりいいことだとは思わなかった。諸悪の根源だとすら考えていた。保守化していけば人や世の中は硬直していき、硬直化したところに交流はなく、嬉しくもなければ悲しくもない、電光掲示板がチカチカする中、数字の変動が時の流れであり、諦観のみが世渡りの術となり、わけも分からず神経症を患った自分がいるという・・・。
こんな時代に家族になんの意味があるのか?

<欠点だらけ>ということなのでは、と思う。
それこそ家族以外の誰も教えることができない最大級の、最高級の贈り物だったのだと。
なにものにも替え難い身をもって知ったこと、社会とは異なるもう一つのロジック、正しさ。有り難いと思う。
年収二百万以下の非正規社員が家庭を持つことは家族中の家族であり、ロックなことでもある。
夜の家

5月の終わりに

いい天気。
変わっていけそうな気がする。
うまくいかなかったことを胸に刻んで。
投げやりになることなく。
草むらの中

経済強迫観念が及ぼす影響に対する一考察

景気ってなんだろう。財布の紐の緩み具合、カネの回り具合い、株の値動き、はたまた人や街の活気といった風に感じている。ネットで検索してみた。おおよそ合っている。もともと景色や雰囲気といった意味合いも込められていたそうだ。一致する他言語は無いのだとも。
経済において景気動向指数やGDPギャップといった景気を判断する指標があり、その解説も出ているがどれも決め手にはならないようだ。大袈裟に言えば、誰もが〈私の指標〉で景気判断を下しているのであり、つまるところ個々人のものの見方、気持ちひとつということになる。
そうは言っても、服を買ったり、食事をしたり、たばこを買ったり、電気代を払ったり、給料が振り込まれたり、毎日確実にカネは動いている。無縁でいられるだろうか。
そもそもなぜ景気を気にし始めたのか、しなければならないのか。たとえ雲をつかむような話だとしてもなぜ?
捨てられるという恐怖感では?と思う。つまり明日路頭に迷い、足元を見られるということだ。差別だってあるだろう。不安である。さらにそれが各々の政治に、信条に結びついたときどういう事態に陥るのだろう。
私たちはテーブル席に着いている。テーブルの上では慎み深く、スマイル絶やさない。しかし、テーブルの下では互いが互いを蹴飛ばし合っている、という図。国家間、企業間ではこのような取引はあるだろうが、学校の同級生や会社の同僚同士でも行われることになるだろう。いや、すでに、そんなの当然という感じもしてくる。
経済それ自体にあまり意味がないと思うのである。巻き込まれはするが、無縁ではいられないが、本当のところ、経済それ自体に需要(ニーズ)がもうないと思うのだが。
インドやネパールにはブラブラとしている男は結構いた。他にも途上国と言われているようなところ(本当は言いたくない)では、悠々と人が生きていた(その限りではないが)。
あんな風に生きられないかなあと憧れる怠け者は私です。
海岸の花

アマガエルの現実は

現実は無茶苦茶だ。
いろんな草が伸びていた。花が咲いて揺れていた。おばあさんが墓を掃除していた。農家が田んぼでしろかきをしていた。アマガエルが葉の上でじっとしていた。河川敷には草がボーボーで降りれなかった。
知らないところで現実は刻々と、粛々とそれぞれの時間で動いている。あらゆる現実の背後には唯一の法則があるのだろうか。あるとするなら、それが神様ということになるだろう。あるような気もする。それはよくわかる。しかし私は無いと答える。一貫性や整合性が欲しいだけじゃないかって。
自由にしてあげたい。
無茶苦茶なまま、無加工で理解することは不可能だろうか。
知らずしらず成型加工という見えない暴力を振るわれ、傷ついているのではと心配する。葉の上で固まっているアマガエルは半眼でまどろんでいた。きっとどうでもよいことなんだろうね。境内の木

父親的愛情喪失の時代に

2年前原発デモへ行った折、私はいったい何をしているのだろうと東京の南砂町のホテルへ戻る最中にふと自問した。政治、経済、社会、日進月歩の科学技術とかいうものに元々興味などなかった。それでも今こうして東京くんだりまでわざわざ出向いた自分が不思議だった。
意外にも答えはすぐに返ってきた。
「父親探し」
明確にはその時はわからなかった。そういう言葉が思い浮かんでしまったのである。
放射能は危険だ、いやどうってことない、原発がなければ経済的にやっていけない、いやそんなことはない、などといった専門家ですら割れる議論。置き去りにされるフクシマ。私は専門家ではないから、不勉強だから詳しいことは解らないが、心情として穏やかでなかった。・・・またか、繰り返されるのか、嫌だなって。
「父親的愛情の喪失」
私にとってそういうことだったのだと思う。ショックを受けた。わかっていたことなのだ。それでもショックを受けた。信用や期待、一縷の望みが残されていると知らず知らず願っていたのだ。
考えてみれば、ずっと前から兆候は現れていた。リストラ、派遣切り、ブラック企業といった雇用問題、格差社会、無縁社会、相次ぐ虐待の事件、若者の意気消沈、テロ、秋葉原のような無差別殺人事件、右傾化やファシズムを指摘する声、これらすべてに通底するものこそ父親的愛情の無さではなかったか。
父親的存在とは目上や強者のことである。中小企業に対する大企業、部下に対する上司、子と親、国民と国家。人ひとりの自身の問題としては自我の肥大化、暴走ということになるだろう。
これは現在進行形であるが、感情や気分は幾分冷め、多少なりとも距離を置いて眺めることができるようになった。だから、ここへ書けた。
おそらく人よりも我の強い私自身を反省する。それでも時間が経てばまたいつもの私が降りてきて我が物顔で支配し始めるのかもしれない。歯止めをかけるものは何なのか。自我の消失はいつなのか。現存する組織に対する滅私奉公では無理がある。
海、よく釣りに行く断崖絶壁の磯。ガンジス河で沐浴する人達、東京で出会った悲惨なものたち、死んだ祖父母と叔父。それらを思うとき反省や消失めいたものがある気がする。でも、わからない。私は立ち往生している。
重要なのは、忘れてはならないことは、原発デモへ参加したということ。目的の遂行のためでなく、行動それ自体。大したことはできないけれど、断念することもできない。
イヌムギ

衰退する地方において財産とは何か?

鳥取県には金がない。貧乏である。地方交付税割合も高い。大体3割から4割の間。国庫支出金も合わせれば歳入の半分を国に依存していることになる。そして人口も少ない。なかなか将来像を描きにくい。
地方はやはり右寄りなのかなあと感じることが多い。大企業とその下請け中小企業との関係に似通っている。橋ができた、道路ができた、ハコモノが建った、村長や町長が予算を取ってきてくれたから、目に見えてわかる住民への贈り物、次期選挙も再当選ほぼ確実。政治家としての保身ばかりでなく、村や町を憂えてのことだったのかもしれず、一概におかしいとも言えない。私が危ぶむのは、下請けがその上位のものに対してノーと言えるだろうかということである、ビジネスではないのだ。
例えば、教育に関してはどうか。省庁からの命令にもの言えぬのなら、将来的に中央集権が練り上げられ強化されていくのは明白だ。そして、なにも知らず私は学校へ通ったのだった。

憶測であるが、ふと思い浮かんでしまったのである。私の描いたシナリオは客観性なく、用意周到な裏づけもなく、調べるのも億劫だ(本来はやるべきだ!)。それでもなんとなく腑に落ちる。主観的で認知的なのである。

そんなのじゃなかった、私の10代は、と思い直す。さびれた商店街、ひなびた港町、誰もいない海、山。かつての得体の知れぬ熱気は風に流され洗われ、息を潜めている。そんなとき、ローリングストーンズの舌のロゴマークが脳裏を過る。ロックとはこのことなのではないか。価値が急減し、誰もが離れていったが、それでも存在し続けているというこの気骨。死に体のそれはムクリと起き上がり、目の前でケタケタと笑って消えていった。それは今の私と世の現状に対する笑いだった。胸がスーっとした。宙に向かって私も笑った。
ビニルハウス