十年後の自問自答

「なぜ、日雇い労働者なんかやってたの?」
「・・・わからない。」
「わからずにやっていたの?」
「そうだけど・・・わからなくなったんだ。」
「何がわからなくなったの?」
「正しいものが・・・。」
「それじゃあ、わからなくなる前はどうだったの?」
「フツーだった、大学を出て会社員になり家庭を持つというような。」
「それがなぜ正しくなくなったの?」
「わからない。なんかヒドイことのような気がして。人や世の中って怖いものだなって。」
「しかし、それは近年に限らずいつの時代もそうなんじゃないの?」
「そうかもしれないけど、本当に切るということはなかったと思う。」
「切るって、何を?」
「人を・・・。」
「・・・それで実際に日雇い労働者やってみてどうだった?」
「やっぱり辛かった。自分がだんだんつまらないもので必要のない存在なんだなって思われてくる。」
「そこから抜け出したいとは思わなかったの?」
「何度も思った。でも定職についてもすぐには給料は貰えないから。一か月以上もの間、収入なしではやってはいけない。預金なんかないし、家賃も滞納していたくらいだったから。」
「それであきらめてしまったの?」
「仮に定職に就けたとしてもアチラ側に回ったということでしかないっていうことにも悩まされた。」
「アチラ側って?」
「派遣会社や派遣先。」
「つまり切る側ってこと?」
「そう。ジレンマだよね。結局、自分の身の処し方がわからなくなった。」
「なにかよかったことは?なんでもいいから」
「例えば同じ日雇いで運送会社を早期退職したオッチャンがいて、妙に意気投合してタバコ一箱買ってもらった。」
「他には?」
「通勤中のサラリーマン達を見て、俺はこいつらとは違うぞっていう自負もどこかあった。どこにも所属できず、文字通り所在ない他の日雇いの連中が好きでもあった。あまり話はしなかったけれど。」
「仲間?もっといえば家族ということになるのかな?」
「どこかに所属してしまえば対立が生まれる。コチラ側、アチラ側って。所属を超えたところに仲間がいる、家族がいる。といっても現実の壁は厚くて重い。所詮、美談にすぎないのかもしれない。儚い夢、かな・・・。」
「どこにも所属せず生きていくことは可能だと思う?」
「基本は無理。そんなに甘くない。誰だって自分の取り分を確保したいから。僕だってそう思うし。普段は温厚な人でも、間の抜けたオモロイ感じの人でもその点にかけては本気になる。目の色が変わるのがはっきりわかる。」
「それじゃあ、あなたは無謀だったということになるけど。」
「闘っていたんだと思う、切る側と。いや闘うというと、通常は切られないようにするものでしょう。会社員だって、野球選手だって、AKB(アーティスト)ですらそうかもしれない。パターンだね、そう躾けられている。」
「これからも闘い続けたい?」
「もう嫌だ、疲れたというのが正直なところ。そんなにタフでもなければ正義漢でもないし。でも時々、あの頃の自分に叱咤されているような気がするんだ。」

下手であること

ニュースをチェックすると報道ステーションの件が載っていた。

あらゆるものが閉ざされ、封鎖されていくような気分になることが多い。狂いなく整形されたものに対する威圧感や排他感に似ている(高級車とか)。不格好だったり、色褪せていたり、抜けていたり、弱かったりするものには親しみを覚える。下手さとは上手ではないということではなく、何かの表れではないか。素顔が出てしまっているというか。
雲

雨降る午後

小雨が降っている。
春の霞かかったもやもやとした大気が雨に洗い流され、しっとりとした空気と極小の雨粒に土も緑も、のみならずアスファルトだって車だってうっとりとして気持ちよさそうだ。濡れそぼった葉は一層鮮やかで引き締まった色彩を放っている。雨の日はいつもその色に感心する。
目の前の椿の葉や少し遠くの紫陽花の若葉やそれらをとりまく雑草、背後に広がる鉛色の空から乖離してしまった日頃の私に気付く。どうせフィクションじゃないか、と。

一か月程前、カメラを手にして農道を歩いていた。下校する小学生が道草を食っているのが見えた。車一台通ることのできるこの道で背後から滑るように何か接近してくる。パトカーだった。
「なにをされているんですか?」
「お名前は?ご住所は?お勤め先は?」
言いたくないと僕は強い口調で言った。怪しいことなどしていないから。
「怪しくなければ言ってもいいですよね?」
しぶしぶ運転免許証を差し出す。
「同い年ですね。」
三十三歳だ。幾分親近感を覚え、何故こんなド田舎で職務質問などするのか尋ねてみた。
「最近、事件が多いでしょう。ここはちょうど通学路なんですよ。」
和歌山での小学生殺害事件のニュースが頭をよぎる。詳しく思い出せないが他にも子供を狙った事件が増えた気がする。やや離れたところに丘があり、その上に家々が建ち、学校の校舎も判別できた。
内心、うなだれた。ここ山陰地方もアブナイ所になってしまったような気がして。その後のやりとりは適当に流した。ボディチェックもされた。パトカーはゆっくりと去っていった。黒っぽい服装にカメラをぶらさげていたら不審者扱い・・か。
不審って何?
考えながら、いつの間にか海岸通りに面した墓地の傍を歩いていた。歩調は速かった。日は暮れ始めていた。

・・・シナリオ通りにいくわけないだろうが!
堰を切ったように怒りが込み上げてくる。
舞台外にこそ生身の人間が住んでいるのだ!疎外され、怯えて。
目頭が熱くなる。強引なまでにシナリオを通そうとし、舞台外には何も存在しないかのように芝居を演じ、踏み潰す。
僕は立ち止まり、顔を上げ、視線を遠くへ向ける。薄闇の中で黒い輪郭となった無数の墓石が屹立し、沈黙の抗議をしている。
無念だと思う。
雨の菜の花

日雇い派遣労働者のころ

十年近く前になるが、フロムエーやアンといった求人誌には派遣登録会社の募集が多数載っており、私はその中の何社かに登録をしていた。登録には印鑑と住所が確認できるものがあればそれでよかった。
派遣先は運送業、建設業、解体業、工場がほとんどだった。
駅の改札に集合し点呼をとり、勤務場所へ案内される。指示されるままに荷物を置き、始業まで待つ。作業はきつかったり、楽だったり。昼休憩はコンビニのおにぎりか店で済ませた。公園でぼんやり過ごすことも多かった。作業を終え作業確認票に担当者からサインを貰い、それを登録会社に提出することで給料を受け取ることができた。日給7千円くらいだった。
グッドウィルやフルキャストといった派遣会社はいまどうなったのだろう。他にも無数にと言えるほどそれらはあったが。同じ日雇い派遣労働者として働いたあの人たちは今どこへ行き何をしているのだろう
現在、日雇い派遣(30日以内)は原則禁止となり、経済格差=派遣が悪いというようなことは言われなくなった。あの頃、派遣会社は本当に飛ぶ鳥を落とすくらいの勢いがあった。
電波塔

脇道を逸れたもうひとつの道で

海が見える町の丘で
寺の塀に沿う道を歩いていく
右手に逸れる草むらの道を
草を踏み
木枝をくぐり
左に顔を向ける
瞬間
色が目に飛び込んできた

青い空に花は映えていた
死角に咲く梅の花
おどろいたし
なんかうれしかった

僕の知らないところで
なにかが進行し
素通りされていることを思う
梅の花

渓流と原発

先週、渓流へヤマメを釣りに行った。
3時間位の川を遡上しながらの釣行だったが、アタリはあるものの釣れなかった。川をあがり、林道に出て来た方角へトボトボと歩いていく。両脇は杉の木ばかりだった。ずっと奥にはブナの木もあった。小ぬか雨が降っており、道はぬかるんでいた。水分をたっぷりと含んだ絹のような微粒子が漂っていた。釣りの方は残念だったが、充足感があった。自分が微粒子に解体されていくような不思議な感覚だった。釣りに夢中で気付かなかったが、周囲は木で覆われ、せせらぎが絶えず、磨かれたような空気が充満していたのである。
しかしそのような中で頭に浮かんだのは、原発問題を筆頭に、格差、労働環境の悪化、あるいはイスラム国、集団的自衛権、憲法改正、沖縄の基地移設などなど暗い話題ばかりだった。遠く遠く離れた向こう側で起こっていること、あちらとこちらの間で酷く分裂を覚える。そんなことを考えながら凹凸に足を取られぬようにゆっくりと歩いた。
渓流

シイの大木

近所にシイの木がある。樹齢は千年と言われる。スギの木のように真っ直ぐではなく曲がりくねっている。生い茂った枝葉の陰に極太の幹が暗く鎮座している。肉感的であり、お爺さんのようでもある。
仰ぎながら千年の記憶を想像してみる。長い長い間いったい何を見てきたのだろう。残虐な野蛮人の歴史、仲睦まじく暮らす家族の歴史、推し量ることすらできない言うに言えない悲しい歴史、どうであろうとあなたはいつもその傍にいたはずだ。

・・・返事はない、変哲もない、押し黙ったままだ。

自分をアホだと思った。
木に話しかけ、問いかけている自分はなんと哀れで頭のおかしい奴だ、と。しらけてうつむく。 すぐ傍に生えた草の葉が弱い光を照り返していた。 そのまわりにも、その奥にも。
帰り道、ガードレールの向こう側で枯れたつる草がぐちゃぐちゃに絡まり合っていた。椿の黒っぽい葉がギラリと光り、真っ赤な花はボトリと地面に落ちていた。遠く見える山は青く、真っ白な雪を被っていた。
振り返るとシイ爺さんの半身が見えた。
椎木