宛て先のない小荷物の行方

学生の時はちやほやされていた。日雇い派遣労働者の時はまるで犬のような扱い。これはいったい何故?
状況によって立場によって扱いや見られ方が180度変わる。でも私は私。この謎。政治や社会などというものに興味などなかったのだ。関係ないものであり、実体のないものだから、と。でも、チラチラと見えてくる。目に見えないものを見てしまった。人を通して社会やこの国の在り様が見えてしまった。はるか頭上で行われている政治劇、権謀術数が私の目の前まで降りてきた。黒い雨、原油のようなドロドロとした雨。人が嫌いなのではない、この黒い雨が。
真空状態の空白地帯、私はそこに立って現実を覗き見ていた。純真無垢、殴りたければ殴ってもよいし、盗みたければ盗んでもよい無茶苦茶で無政府状態の場所。許されるわけない。当然だ(断わっておくが実際にしたことはない)。しかし活力は失われていった。
黒い雨の届かない場所、シェルター。この二者拮抗、せめぎ合いがいつも暗雲を呼んだ。24時間闘っていた。眠れなかった。この戦場が私。シェルターを建設させたのは何者なのか。暴力と言ってしまえば身も蓋もない気がするが、そういうものに恨みがあると同時に感謝の念もある。発見を与えてくれたから。
強権の行使を歓迎しているわけではもちろんない。敢えて空白を残す、裏側で遊ばせるというような余裕や度量が失われたことに気を揉む。
カミキリムシ

真冬の荒波に揉まれて残るもの

自然界にルールは無い。真冬の海に飛び込んだって良い。しかし、飛び込む馬鹿はいない(飛び込んだことのある人ゴメン)。だがそれを悪いとは言えない。真冬の海で死にそうになった体験が人と海とのルールとなる。そこでは個人的体験が基礎になっており、具体的である。
昨今は、学校でも会社でもルールやコンプライアンスが大きな顔をしてまかり通り、人間はその下で萎縮し、石の下のダンゴムシやムカデのような暮らしを強いられているのではないだろうか。もう自然との蜜月関係は終わり、そんな風にしかできないということもわからなくもないが、どうしても嘘を嗅ぎ取ってしまうのである。それが嫌で嫌で。
やはり人が創ったものなのだ。不平等や利権や暴力といったものが必ず流れ込んでくる。政治や民主主義の限界もここにあるはずだ。
集団的体験というものがあるとすれば、それがルールやコンプライアンスになり得るかもしれない。集団的体験とはなんなのだろうと思いを馳せれば、フクシマ、オキナワ、長引く不況、少子高齢化、他にもあるだろうが日々感じているストレス、悩み、不安といった名状し難いモヤモヤしたものだと一応言えるかもしれない。
仮にそれらを基礎として創られた規範が定着していけば、現状の嘘に対するイライラは少しずつ解消されていくだろう。苦しいときに吐き出された声は、人間の、自然界からの声。人間がなしうる究極の規範である。現在大変な思いをしている人達に対して軽率な文章であるかもしれないが、やはり希望を持ちたいのだ。ムカつくこと、嫌なこと、苦しいこと、様々な不安材料が数限りないが、希望がほんの少しずつでも醸成されていると信じたい。
砂畑

いま進行していること

工場で機械が轟音をたてている。高く伸びたビルには無数の人たちが出入りし、エレベーターはひっきりなしに昇降を繰り返している。建設現場ではヘルメットを被った男たちが壁となるボードを運んでいる。レストランは開店の準備を始め、仕込み中。運送屋のトラックは高速道路をぶっ飛ばしている。夜の歓楽街は片付けを終えようとしている。他にも数え上げればきりがないが、この大きな動きを、今朝思った。そして私はその一端で小さな役割を演じている。
このひとまとまりの大きな運動は何を意味するのだろう。どこへ行こうとしているのだろう。一人一人は家族のため自分のためだったりするのだろうが、まとまりをもった事象と捉えるならいったい何だ?富国強兵政策、戦争準備か?民族の威信か?宗教儀式か?わからない。わからないが、意味はあるのかと問う。
すっきりと晴れた朝だった。日差しを受ける木々の葉、人、建物、車。人のやることとは無関係に動くもう一つの時間。
泡、だと思った。
泡は水面下から表面へと浮かび上がり、パンッと弾けた。
橋の下

夢と現実

インドやネパールのことを思い出す。夢のようだ。夢は根拠無き妄想ではない。それは現にあったことなのだ。しかし、現に失われたものでもある。現実とは焦点である。焦点の合った鮮明に見える部分をそう呼んでいる。誰もがこの国特有の似通った部分に焦点を合わせており、私は孤立し疲れる。無力感やあきらめに近い感情を抱き、投げやりになる。理想主義者やロマンチストとして扱われてしまうのでは、という不満とため息。『私の現実』は虚偽であるかのような錯覚。
夢と現実が交錯したりしなかったりするなかで、空白の時間がやってくる。焦点からの解放。なにがあろうと、ちいさなちいさな可愛らしい者たちが生きているじゃないか。歌を口ずさんでくるりと回り、トコトコと地面を歩いている。蓋をされ、迫害を受け、一掃されても、どこからともなく現れ、そのちいさな体を震わせて精一杯はるか遠くまで呼び掛けている。それは私の知らない言葉で遠くから呼ぶ異国の人の声とよく似ていた。
チューリップ

氷山の全体像とコインの裏おもて

表層だ。上澄みだけを掬って垂れ流している。テレビも新聞も週刊誌もネットも会社も学校も労働者も経営者も政治家もラーメン屋の親父も。そんな気がするのはなぜ?
氷山の一角、海面下には何倍もの大きな氷の塊があるという。好き勝手に生きている、バラバラに、国が違う、言葉が違う、肌の色、経済格差、人種差別。冷たい海中に飛び込めばそれらはフィクションとなり、不思議の国のできごとのよう。私が私だと思っている私は、私じゃなかった。私はイメージでもなく、身体でもなかった。流動する海の一部分。この感じ、わかりますか?
俺はアホなのか。誰もが感じているのに言わないだけなのか。そのあたりがよくわからない。騙そうとか、笑わそうってわけじゃない。病気でもなく、犯罪でもない。いたって健康で健全に生きている。

祖父はお金、父は名誉、子はさらに高いもの、つまり文化、精神的生活にかかわるもの。そのような変遷があるとするなら、今は子の時代じゃないのか。草食系だとか、数年で辞職する若者はそのことを物語っている。いやそんなことはなく依然として贅沢な生活に憧れ、名を上げようと奮闘しているのか。
文化とはなにか。服装や立ち居振る舞い、生活様式というのは結果でしかない。反戦や非暴力が根本だ。現実には格差=経済的暴力、差別=心理的暴力、あらゆる暴力が満ち溢れているのだ。それを思うとき、どのように他者と接すればよいのかわからなくなる。インドにおいて、手を差し出す物乞いに見つめられたとき、罪悪感と鬱陶しさの両方を感じたものだ。それは自身の暴力を見つめる機会を与えられたということだった。コインを差し出したりあるいは突っぱねたりしたのを思い出す。
牛舎のイチョウの木

くさむらのなかのちぎれたくもの

風が強い
雨も降ってきた
傘を差しても
濡れた
文句を言ったり
腹を立てたり
一喜一憂したって
自然の大きなうねりの中で
ちょこまか動く
存在でしかないんだなあ
とおもう
なんだか悲しい
そして
人が可愛い
とおもえた
あきらめに似た
この感情は
為政者にとっては
好都合かも
騙されんぞ
とおもった
わたしが落ち着かない
理由は信じられないから
信じることは
死に場所探し
わたしを葬ること
どこへ行けばよいのか
わからない
わたしはうろうろと
浮雲のようで
心許ない
ちぎれたわたしの雲
ぎゅっと抱きしめたい
手を伸ばせば
ぬるい雨に濡れた
信じることを強制
そのせいで
信じられなくなった
それは憎悪に変わる
わたしはわたしを
手放したくなかったから
わたしは殺されて
かたちだけの葬式
すらされず
打ち捨てられた
不憫で
可哀そうで
ずっとそばにいてあげなくては
そう決めた
死人のわたしを囲む
草むら
ガサゴソ音が近づく
子供だった
新しく
なじみ深い姿の
あざみ

カーチェイス

逃げる麻薬密売人、それを追うポリス。高速道路を縫うように追いかけ追いかけられ、住宅街を突っ走り、道なき道を駆け上がり、土煙を上げて行く先はどこか知らない誰もいない場所。
映画でよくあるシーンだ。私は追われる犯人だろうか、それとも追うポリスなのだろうか。どちら側に立てばよいのか。
大多数の人達が日々追いかけられたり追われたりしている。一人二役を演じている。追う役と追われる役の二役を。
そういえば子供の頃ケイドロという遊びがあった。警察のケイと泥棒のドロという意味だが、警察役が泥棒役を捕まえるという遊び。おにごっこのようなもの。単純だが、大人の本質を捉えていた。
役割が先行し、友情や連帯がバッサバッサと切られていく。警察役の座に憧れ、日々努力している。泥棒役に回された人たちは自信を失ったり、キレたり、本当の犯人になってしまうことも。
分裂であることは明白なのだ。もうケイドロ遊びはやめにしたい。ポリスでもなければ犯人でもない、あなたも私も。同一人物なのである。
山の上

弱さの秘訣

もっと弱くなりたい。最近そう思い続けている。意志ではなく反省である。強くなりたい、大きくなりたい、偉くなりたい、つまるところ政府になりたいということだった、そんなふうに思うのだ。なんと破壊的なことっだったろう、と。
私はふにゃふにゃの軟弱でヘタレになってしまった。なにも決められず、人が怖い。人も私が怖いのじゃないかって、だとしたら私などいないほうがいいって。
私ができることは歩くことだった、文字通り道をぶらぶらと。橋を渡ったり、川べりを歩いたり、海岸の砂浜、山の坂、神社の長い階段、町の細い路地。道端の草や花、砂浜からずっと遠くまで見渡せる海、雲がかかる高く大きな山、神社の曲がりくねった大木、路地裏の猫や古い壁。
それらは黙って私を赦した。
キンモクセイ