背景が前面にせり出してきた時の

部屋の窓から見えるは灰色の空、100メートル未満にある家や車やアジサイの花は突然の激しい雨で霞んで見えるほどだ。ユーチューブの動画の音が雨音にかき消されて聞こえない。私はノートパソコンを閉じる。眺めながらバケツをひっくり返したような水量とその勢いに清々しさを感じていた。外へ飛び出してずぶ濡れになればよかった、と止んでから思った。
普段自然は背景に押しやられている。それは有るけど無い。目に入らない。生活に必要とされるアレコレに注意は向けられているから。当然のことだ。しかし今回のような突然の大雨は普段見えていなかった背景が前面にせり出してくることであり、結果それは日常を客観視する契機を与えることだった。私は雨そのものに清々しさを感じたというよりも、それによって自分の止むことのない小賢しさやセコさを一時停止させることにカタルシスを覚えたのだと思う。
しかしこのことにいったい何の意味があるのか。
世の中をかりそめのものだと悟り、結果凝り固まったこだわりが解けて他人にも自分にも寛容になり、人間関係は改善、二の足を踏むばかりだったのが能動的に事を進めるようになる。と、うまくいかないまでも大きく間違ってはいないと思うのだが・・。