陽光に透けた黄緑色が宝石を散りばめたようだった

扇風機が首を振っている。風はぬるいが無いよりはマシだ。風鈴が揺れてチリンチリンと涼しげな音色を響かせている。音で温度を下げようとする試みはアイディアとしてスゴイ。温度計の温度などどうだっていいのだ、私が涼しいと感じるならば。こんなこと言うと笑われるだろうか。
渓谷へ行った。遊歩道を伝って渓流まで降りる。地面は湿っておりシダ植物も多い。辺りには水の流れる音が途切れることなく聞こえている。無音では無いが静かである。熊が出没したらどうしようと考え怖くなったがまさかと思い歩き進んだ。谷の底から見上げれば木々の葉が空を埋め尽くすように広がっており、陽光に透けた黄緑色が宝石を散りばめたようだった。大きな岩、巻きつく蔓、その表面に生えた苔。一朝一夕に出来上がったわけではなく少しずつ少しずつ偶然に偶然を重ね現在に至る。努力ではなく、何が起ころうと老いて死んでいく運命のような、私の計り知ることのできないところでの自身の変動と同様にそれは出来上がった。落ち込んだり、鬱になったり、気が滅入ったりするのはこのような位相に接近している表れなのかもしれない。私は私でないところの私を置き忘れたのではないか、と。
人はいない。こんなところに金は落ちていない。マイナスイオンの真偽は定かじゃない。きっと健康にはよいだろうが証明する手立てはない(あったら教えてください)。逆に言えばこの空間を難なく独占できるしかき乱されることもない。世間を騒がせているニュースのほとんどはここまで届かない。