雨の内省

生温いサウナ。
梅雨はまだ開けておらず、じっとりとした大気は無風のため動かず滞留している。草木は、山は春からの成長にひと息ついて水の微粒子に手を広げ、身を投げ出し、目を細くして天を仰いでいる。日差しは雲によって遮られ、アスファルトは雨に濡れてその黒を増し、キラキラと輝くものはどこにもなくそのしっとりとした佇まいに誇張や過不足がなく、いつもの町が少し小さく感じられる。それは私を町の外へ放り出し、当たり前だと思っていた様々なものを再度吟味させ、自身の当たり前は慣れ親しんだ色かたちによって育まれたことを教え、貧弱ないち地方の町に対する情けないような心持ちと、同時にきっと裏切ることができないだろうことを悟らせた。どんなに遠くへ行ったとしてもこの町を出ることは叶わない。私らしさは山の上方、曇り空の重なりや厚みやグラデーションのなかに隠れている。
私は遠くを探すよりも近くを探せばよかった。とは言え近くはなかなか見えないものだ。その町の住人よりも、遠方からの訪問者や旅行者のほうが案外よく見えたりする。旅行者の目でホームタウンを見ることができたならいくらでも近くを探すことができる。旅とは遠方での未知との遭遇であると同時に至近の再発見でもある。偶然に偶然を重ねて私は私という意識を戴いており、無数の網の目の結節点であることが恥ずかしいような誇らしいような、でも結局ダメな自分を諦めて自嘲気味に笑って許すのである。ありもしない理想像にあやかろうと努力してきたのは何故だったのだろうと考えながらまだまだ捨てたものではない眼前の風景をみつめ直す。
ぽつっぽつっ、止んでいた雨がふたたび降り始める。梅雨も幾日か経てば終わりを迎え、空は晴れ渡るだろう。私は再びなにかに取り憑かれ、追いかけ回すだろう。自分を見失って。
今はまだ梅雨の雨音に耳を傾け体内の力みを洗い流すことに専心するつもりである。