地図とリアル

地図。
もはや地図帳を開くことはなくグーグルマップに頼りきりだ。
当たり前だが地図に記されている通りに歩けば目的地へ着く。それはグーグルマップになっても変わらない。地図そのものが発明されたわけではない。ブラッシュアップされただけだ。
山や川や道路や畑や交番や学校・・そのすべての情報が網羅されている地図。それは現実世界と1対1で対応している。グーグルアースという地図以上のものだってある。
あくまでリアルを抽出しコピーしたのが地図だ。その逆ではない。地図に従って現実が成立しているわけではない。
だが先にも書いたように地図に従って歩けば目的地に着くのであり、当人から見れば現実の方が地図通りにできていると感じるのではないか。このあべこべさに気付くのは思ったより難しい。

別の例を挙げると・・、自分の勤めている会社の課長を写真に撮ったとする。が、アラ不思議”課長”はどこにも写っていないのである。そこには”おじさん”がただただ鎮座しているだけだ(おばさんかもしれんが)。要するにその課長を知らない人から見ればただのおじさんにしか見えないということだ。にも関わらず課長に対して毎日ぺこぺこし、あるいは緊張したり仕事しているフリをしたりする(笑)”課長”という写真に写らないものを見ているわけだ。それは幽霊でありオバケであり妖怪でありキツネでありタヌキである。そんなものは迷信だと笑い飛ばせる人がどれだけいるだろう。
社会とはこのことではないか。地図情報のことではないか。私はそれに怒ったり落ち込んだりしてきたと思う。”おじさん”を”課長”と思うことそれ自体が社会である。社会は心の中に巣食っている。

人が好きだ。
でもその中に社会を見てしまう。
落胆する。
コノヤローって思う。
しょうがないよなって言い聞かす。
「山は山という役割を演じているのではない。」
「重荷から解放されることはあるだろうか。」
「地図が支配的になりすぎた。」
ぶつくさ言う。
ふて寝する。
ぼーっとする。
地図抜きで遠出する。
人がいない。
海を眺める。
無限のエネルギー。
・・・。
そろそろ帰ろう。
もう一度信じてみるか・・。