持てない海

海はみんなのもの、誰のものでもない。
国際的には領海というものがある、しかし流動する海を所有するというのは実感できない。空も然りだ。陸だけが不動のものであり所有感を覚えるのだろう(長期的に見れば陸も流動的だが)。何故こんな当たり前のつまらない理屈を書くのかというと夕方に海に行ってそう思ったから。そして胸がすーっとしたから。誰のものでもないものってもうないのじゃないか。大豪邸や戦闘機や芸術作品よりもスゴいことなのに・・。

海を見てずっと昔のことを思い出す、私が子供だった頃、さらにずっと昔、生まれる前、いやもういつのことかわからないくらい昔。非科学的で、貧しくて、不潔で、暗くて、弱くて、華奢で、泣いてばかりいた頃のこと。私はそれが嫌でしょうがなく、時にはバカにして唾を吐いたこともあった。でも今は思わない。よかったと思うのである。”わたし”は”わたしたち”であり、”わたしたち”は”わたし”だったあの頃が。科学的ではなかったが、魔術的だった。不潔だったが体温があった。暗かったが歴史があった。泣いてばかりいたが”関係”があった。誰もが同じひとつの海を所有していた。つまり海はみんなのものだったし誰のものでもなかった。
今、太古の記憶を留めた海の中に物語の原型を見た気がする。
海の断崖